2006年02月08日

ヘッツァー駆逐戦車

hetzer.jpg
はじめてこの戦車を見たときに私が感じたことは、「非常に完成度が高い、機能美を実現した戦車」という印象だった。傾斜装甲で構成された戦闘室、そして戦闘室と一体となった車体。小粒ながらも強力な印象を受けるのが本車である。

実際に、ヘッツァーのカタログ上のデータは、重量が10トン近く重いV号突撃砲に匹敵する。傾斜した前面の装甲厚は60mmあり、M4シャーマンやT34/76でも、500m以内に近づかなければ撃破することは困難だった。主砲は48口径75mm砲であり、W号戦車やV号突撃砲と同じである。最高速度は42kmで、軽快とはいえないが、当時の一般的な水準に達していた。

そもそもヘッツァーが開発されたのは、1943年の連合軍の空襲によって、V号突撃砲の生産を行っていたアルケット社が大打撃を受け、チェコのBMM社にV号突撃砲の生産の依頼が来たのが発端である。依頼を受けたものの、BMM社の設備ではV号突撃砲が生産できないことがわかったため、38(t)戦車の車台を利用した駆逐戦車を生産することが決定された。

これまでもマルダーなど、38(t)戦車の車台を利用した自走砲はあったが、ヘッツァーの場合は従来の自走砲とは大きく異なり、全高は低く抑えられ、密閉式の戦闘室に改められた。戦闘室の容積を広く使うため、大砲は前方に張り出しつつ、車体の右寄りに据え付けられた。そのために、右側に余計に850kgの重量がかかり、車体前部は10cm沈んでしまった(走行には支障はなかった)。車載機銃は車体内部からリモコン操作で発射することができる。

ヘッツァーの試作車両は1944年3月に完成し、その優れた性能から4月には量産が開始された。戦争が終結する1945年3月までにヘッツァーは約2800両が生産された。長年来使用してきた38(t)戦車の車台であったので稼働率も高く、ヘッツァーは後期ドイツ軍の装甲戦力の一翼を担ったのである。戦後もチェコやスイスでヘッツァーがしばらく利用された。

ヘッツァーの弱点は、カタログ上には出ない点でいくつかあった。もっとも重大なものは、車体が狭くて戦車を操作する上で、ほかの戦車に比べ多くの点で困難があったということであった。車体が狭いため、砲の装填にはV号突撃砲の約2倍の時間がかかる。出口も、後部に1ヵ所しかなく、居住環境は最悪であった。

しかし、以上のような弱点を配慮に入れても、ヘッツァーが優れた駆逐戦車であったことは間違いないだろう。

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2006年01月16日

T-44中戦車(ソ連)

t44_10.jpg
最近まで私も全く知らなかった戦車である。このT-44中戦車はT-34の後継の主力戦車として1943年に開発された。実際に部隊配備も1944年末には一部の部隊で完了していたのである。しかしながら、ソ連指導部は、すでに敗北しつつあるドイツに新兵器を差し向けるよりも、アメリカやイギリスなどの西側諸国との、将来における戦いに備えて温存しておくほうがよいと考えていたようである。

T-44はT-34と外見が似通っているものの、いくつかの点で大きな変更が行われ、主に生産の効率化が計られている。もっとも大きな変更点は車体である。T-34のような傾斜面で構成された車体を改め、前面以外は垂直面の単純な箱型とした。さらに従来のクリスチー式のサスペンションを変更し、大重量でも安定性の高いトーションバー式とした。このような変更で形成されたT-44の車体は、続くT-54から現在までのロシア戦車に基本的に共通のものである。

砲塔に関してはT-34とあまり変更点はなく、T-34と同じ85mm砲を装備した。ただし、他国の戦車の攻撃力向上に追いつくため、100mm砲に早い段階で変更された。T-44の弱点は、砲塔リングが小さく設計されたために、100mm砲以上の戦車砲を搭載することが不可能で、攻撃力の向上ができなかったからである。

T-44は約1000両ほど生産されたが、上で述べたような攻撃量の不足から、多くは訓練用に使われ、70年代頃まで在籍していた。性能としては、特に際立った戦車ではないと思うが、ロシアらしい質実剛健な戦車であるといえよう。


T-44中戦車(ソ連・1944)

全長:    7.65m
全幅:    3.10m
全高:    2.40m
全備重量: 31.5t
乗員:    4名
エンジン:  V-44 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 520hp/2,000rpm
最大速度: 50km/h
航続距離: 235km
武装:    54.6口径85mm戦車砲ZIS-S-53×1 (58発)
        7.62mm機関銃DTM×2 (2,750発)
装甲厚:   15〜120mm


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2005年11月22日

ソミュアS35中戦車(1935年・フランス)

ソミュアS35中戦車
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第二次世界大戦でのフランス軍の評価は非常に低いものである。陣地戦・歩兵戦を主とし、旧態依然とした戦略思想。将兵達の低い士気まったく活動を見せなかった海軍。こうした散々な評価を受けているフランス軍であるが、その中にもきらりと光る一面があったことは否定できない。その一つが今回紹介するソミュア戦車である。

フランスはもともと戦車先進国であった。初めて回転砲塔をもつ戦車を開発し、戦車の大量生産にも成功した。しかしながら、「陣地突破、歩兵支援」という、当初の戦車の使用目的にこだわりすぎたために、その後の戦車開発で列強諸国に大きく遅れをとることになってしまった。

当時のフランスで機動戦の主力を担っていたのは騎兵と装甲車であった。しかしながらこれらの部隊は、不整地での行動力、銃弾に対する防御力、堅固な陣地に対する攻撃力などの、いずれもが不足していた。この認識が強くなった1930年台初頭に、騎兵・装甲車に変わる機動力の高い戦車が開発されることになった。それが1935年に開発されたソミュア戦車である。

ソミュア戦車では、主に三つの斬新な技術が盛り込まれた。その一つが、鋳造による車体・砲塔の製作である。これによって従来の平版を組み合わせた戦士より、生産性が向上した。次に、タンク内に特殊なゴムをいれ、被弾して穴が開いたときに自動でその穴をふさぐようにしたことである。もう一つは、サスペンションの保護のためスカート(側面装甲版)を装備したことである。ソミュア戦車にはその後の戦車のスタンダードとなるさまざまな技術がはじめて使用されたのである。

加えて、戦車としての基本性能も、当時としては非常に優れたものであった。主砲の47mm32口径砲は、当時の主流の37mm砲より一回り大きく、500mで58mmの装甲板を打ち抜く威力を持っていた。装甲は前面56mmで傾斜した装甲を持っており、37mmクラスの砲に対する十分な防御力があった。機動力も路上で最大45km/hを出すことができ、まさに走・攻・守のバランスの取れた戦車であり、戦車個体を見れば、ドイツ軍のV・W号戦車よりも優れていたといえる。うわさの領域ではあるが、アメリカのM4シャーマンはソミュアをまねて作られたといわれたほどである。

ドイツ軍のフランス侵攻時、フランス軍は約500両のソミュア戦車を持っていた。しかしながら、フランス軍はこれらのソミュアをホチキスやルノー軽戦車・歩兵に組み合わせて、各個ばらばらの小さい戦闘集団に分割して運用してしまった。そのため集団で襲い掛かってくるV号・W号戦車に各個撃破されたのである。こうしてソミュアはろくな活躍も見せられず、ドイツ軍に撃破または鹵獲されてしまった。ちなみに鹵獲されたソミュアは300両ほどでパルチザン・レジスタンスの掃討、ノルマンディー上陸後の西部戦線で細々と使用された。

独ソ戦争初期のソ連軍も間違った運用で強力なT34を有効活用できずいたずらに失ってしまった。やはり戦車の能力というのは、それを運用する戦略や戦車兵のマンパワーにも大きく依存することがわかる。


ソミュアS35中戦車
全長:    5.38m
全幅:    2.12m
全高:    2.62m
全備重量: 19.7t
乗員:    3名
エンジン:  ソミュア V型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 190hp
最大速度: 45km/h
航続距離: 260km
武装:    32口径47mm戦車砲SA35×1 (108発)
        7.5mm機関銃M1931×1 (1,250発)
装甲厚:   20〜56mm



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2005年10月24日

W号戦車

第二次世界大戦ドイツ軍の主力戦車はどの戦車であっただろうか。ドイツ軍の戦車と聞けばティーガーパンターなどの名前がすぐに挙がってくる。しかし、6年間にわたる大戦を戦い抜いた主力戦車はW号戦車に他ならない。W号戦車の生産は各型式をすべて合わせて約11000輌である。なお、先ほど挙げたティーガーの生産数は約1000輌、パンターでも約6000輌である。W号戦車が数の上からも主力であることは間違いない。では、戦車兵たちから親しまれ。信頼されたW号戦車とはいったいどんな戦車であったのだろうか。

1935年より開発されてきたW号戦車は、もともと、火力支援用の20トンクラスの戦車として開発された。当初は、V号戦車が対戦車戦などをつとめる主力戦車と考えられており、W号戦車は、その支援のとして、強力なトーチカなどを破壊するために開発された。そのため、当時としては大型な75mm砲の搭載が可能なように設計されていた。ちなみに、大戦の初期に活躍したW号戦車D型の性能としては、重量20トン、75mm24口径砲(火力支援用の短砲身)搭載、装甲厚は10mm〜35mmであり、V号戦車E型が、重量19.5トン、37mm46.5口径砲搭載、装甲厚は10mm〜30mmであった。

W号中戦車D型
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対ポーランド戦、対フランス戦縦横無尽な活躍を見せたドイツ軍機甲部隊であったが、1941年の対ソ戦で、彼らはT34という強力な敵に直面することになった。T34の出現でドイツ軍のV号戦車、W号戦車は一挙に陳腐化し、ドイツ軍は早急に強力な戦車を戦場に送り出す必要に迫られた。新たな戦車を開発すると同時に、既存の戦車を改良することも当然ながら試みられた。V号戦車は実にA型からN型まで改造が続けられたのである。しかしながら、基本設計の点で長砲身の75mm砲を積むことができないV号戦車は、ついにT34に対抗することはできず、1943年の段階で一線を退くことになった

一方、もともと大口径砲を積むことを考慮して生産されたW号戦車は75mm長砲身砲の搭載が可能で、装甲の追加による重量増加にも対応することができた。W号戦車は、1942年から生産されたF型から長砲身の75mm43口径の砲が載せられた。43年から生産されたH型では、さらに砲身を伸ばした75mm48口径砲の搭載が行われた。さらに、対戦車銃や歩兵の対戦車兵器に対応するため、「シェルツェン」という増加装甲が装備された(下の写真を参考)。シェルツェンを装備したW号戦車が、しばしばティーガーと見間違えられ、連合軍の兵士たちを驚かせたことがあったという。以上のような改良によってW号戦車は性能的に完成に至り、T34に対抗することが可能になったのである。

W号中戦車H型
4gouH.jpg

1943年にパンターの生産が開始されたことにより、W号戦車は補助的な車輌となるはずであった。しかし、長年にわたる生産・運用によって培われてきた信頼性や、生産性の高さから、W号戦車の生産は1945年まで続けられた。W号戦車の最終型であるJ型では、逼迫した戦況にあわせて、各部分の簡略化が計られた。砲塔旋回のための補助エンジンが廃止され、マフラーも取り外された。シェルツェンは鉄板から金網に変更された。

ドイツの栄光と敗北のすべてをともにしたW号戦車は、決して性能的に優れていたわけでもなく、ティーガーやパンターのような伝説的な活躍をしたわけではない。しかしながら、ドイツ兵士たちに信頼され「軍馬」と呼ばれ親しまれたのである。


W号中戦車D型
全長:    5.92m
全幅:    2.84m
全高:    2.68m
全備重量: 20.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 300hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 200km
武装:    24口径7.5cm戦車砲KwK37×1 (80発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (2,700発)
装甲厚:   10〜35mm

IV号中戦車H型

全長:    7.02m
車体長:   5.89m
全幅:    2.88m
全高:    2.68m
全備重量: 25.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 300hp/3,000rpm
最大速度: 38km/h
航続距離: 210km
武装:    48口径7.5cm戦車砲KwK40×1 (87発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (3,150発)
装甲厚:   10〜80mm
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2005年10月04日

パンター戦車

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1941年独ソ戦の勃発によりソ連に侵入したドイツ軍は、T34戦車に遭遇した。T34戦車は当時のドイツ軍の主力であったV号戦車W号戦車はるかに凌駕する性能を持っており、それらの戦車ではまったく歯が立たなかった。T34に対しては歩兵の肉薄攻撃や高射砲や野砲の攻撃によって何とかしのいでいるという有様で、この、T34の出現によるドイツ軍の一種の恐慌状態は「T34ショック」と呼ばれた。

この「T34ショック」を早急に克服するため、開発が急がれたのが次期主力戦車を期待されたY号戦車パンターである。パンター戦車の特徴的な点は、それまでの箱型の無骨なドイツ軍戦車と異なり、傾斜装甲で構成されたスマートなデザインである。これは同じく傾斜装甲で構成されているT34の影響が大きい。パンターの主砲には70口径長の75mm砲が搭載された。この長い砲は、貫通力に関して、ティーガーTの88mm砲よりも強力だと分析されている。装甲に関しては前面が80mm側面が40mmであり、傾斜した前面装甲は実質的には110mmの厚みがあった。エンジンはマイバッハの700馬力ガソリンエンジンを積み、当時のドイツ軍戦車の中では比較的軽快な機動力を持っていた。

1941年末に本格的にスタートしたパンターの開発は、ダイムラー・ベンツMAN社に命じられ、両社は翌42年5月に試作車両を提出、検討の結果MAN社の案が採用された。量産の命令は「翌年5月までに250両のパンターを生産すること」であったが、量産のための試作車の製作にてこずり、結局完全な試作車が完成したのは1943年の1月であった。それからわずか4ヶ月の間に数百両のパンターをそろえなければならなかったのである。加えて、夏に予定されていたクルスクの戦いにパンターが間に合うようにするため、さらに生産が急がれた

この、急ピッチな開発と生産が、パンターの初期におけるさまざまなトラブルを招いてしまったことはいうまでもない。1943年7月のクルスク戦に投入されたパンターは、いたるところで故障を起こし、その真価をまったく発揮できなかった。ある部隊では、200両装備していたパンターのうち、クルスク戦の第一日の終了後、稼動できるものは50両程度に過ぎないという有様であった。

このような初期不良に悩まされたパンターであったが、徐々に改良が加えられ、パンターG型に至ってその完成度は十分なものになったのである。攻撃力・防御力・機動力がバランスよく備わった本車は、連合軍から非常に厄介な相手とみなされた。ドイツの戦車兵エルンスト・バルクマンがたった一両のパンターをもってアメリカ軍戦車数十両を破壊し、戦線の崩壊を防いだという伝説もあるほどだ。

パンター戦車の弱点は、先ほど挙げた機械的信頼の問題以外にもいくつかある。それは1両の生産にかかるコストが大きいということ、車体が大きく、特に面積の広く装甲の薄い側面が弱いということである。パンターの重量は、約45トンであるが、これは他国の主力戦車と比べた場合、10トン近く重い。重い戦車ほど基本的に強いのだが、1両でも多くの戦車がほしいはずのドイツ軍ならば、もっと生産性を重視するべきであったと思う。

とはいえ、パンターは第二次大戦の中で、もっとも優秀な戦車のうちに入ることは間違いない。戦後、ドイツ軍が開発したレオパルドTにパンターの面影を見ることができるのは、やはりその設計の優秀さが通用するからではないのではなかろうか。実は、パンターもレオパルドも訳は「」である。そういった意味でも、まだドイツ軍の中にはパンターが生きているのかもしれない。


パンター戦車性能諸元(G型)
全長:    8.86m
車体長:   6.88m
全幅:    3.43m
全高:    2.98m
全備重量: 44.8t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL230P30 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 700hp/3,000rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 177km
武装:    70口径7.5cm戦車砲KwK42×1 (82発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (4,200発)
装甲厚:   16〜110mm
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2005年09月02日

T34中戦車(ソ連・1941年)

T34.jpg
スマートな戦車である。当時のどの国の戦車と比べても先進性を感じさせるデザインだ。角度のついた装甲版で構成された車体、鋳造方式の砲塔、当時の標準(37mm・50mm)を大きく上回る76mmの大口径砲、踏破性の高い幅広の履帯(キャタピラ)、燃費がよく、どのような燃料にも対応する500馬力ディーゼルエンジン。当然ながら性能も一流で、攻撃力・機動力・防御力のいずれもバランスよく持ち合わせていた。

1941年の独ソ戦勃発によりソ連に侵攻したドイツは、T34に直面したが、これにまともに対抗する兵器を持ち合わせていなかった。陸軍の37mm対戦車砲は、「陸軍御用達のドアノッカー」とあだ名されるようにまでなってしまった。ドイツ軍の主力戦車である3号戦車J型4号戦車D型も性能的に明らかにT34に劣っていた。

対抗手段のないドイツ軍は、T34を「鬼戦車」と呼び、地雷や集束手榴弾による肉薄攻撃、高射砲や大型や砲による砲撃によって戦うしかなく、この現象は「T34ショック」とまで呼ばれることとなった。そして、この戦車に対抗する形で開発されたのが、有名なティーガー戦車パンサー戦車である。3号戦車や4号戦車など既存の戦車も大幅に改良が施され、装甲を増加し、大砲はより大きな物へと載せかえられた。

なかなか新型戦車の開発が進まない技術部に対して、一時はT34のまったくのコピーを生産しろといったこともあったほどである。電撃戦の生みの親、ハインツ・グデーリアンは、撃破されたT34を見て、これこそが理想の戦車だと語ったこともある。

このように、ドイツをはじめとする世界各国に衝撃を与えたT34であるが、この戦車にも初期の段階ではいくつかの弱点があった。その一つは、砲塔が小さくて、戦車長が砲手も兼ねなければならないことであった。そのために周辺警戒が手薄になったし、砲弾の装填速度も各国の戦車に比べると遅かった。また、初期のモデルでは無線の搭載が進んでおらず、戦車の集団的運用には困難があった。独ソ戦初期において、ドイツ軍がなんとかT34に対抗できたのもこの点に負うところが多い。ソ連軍はT34を少数で逐次投入したために、有効な打撃力とすることができなかったのである。あと、もう一点問題を述べるとすれば、T34は粗製乱造がひどかったことである。エンジンが動かないとか砲が割れたとかそういった深刻なことではなかったが、強化ガラスに気泡が浮いて、よく前が見えなかったり、がさつな作りの変速機のため、金槌で叩かなければギアチェンジができないほど硬かったりした

しかしこのような弱点も、1943年に開発されたT34/85(85mm砲搭載の新型砲塔タイプ。従来は76mm砲)の出現によって克服された。大型砲塔の搭載により、乗員が4名から1名増えて5名になり、戦車長が砲手の任務から解放された。その他の細かい弱点も、この改良によって大部分が解決され、第二次世界大戦一の傑作戦車となったのである。

その証拠に、T34は第二次世界大戦のみならず、朝鮮戦争、中東戦争、ベトナム戦争、ユーゴ紛争など、共産圏の標準的兵器として使われ続けたのである。そして一部の後進国だけではあるが、今現在も現役で就役しているT34があるというから驚きである。それほどまでにバランスの取れた優れた戦車なのである。

T34中戦車(1942年型)

全長:    6.75m
車体長:   5.92m
全幅:    3.00m
全高:    2.45m
全備重量: 30.0t
乗員:    4名
エンジン:  V-2-34 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 500hp/1,800rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 280km
武装:    41.5口径76.2mm戦車砲F-34×1 (100発)
        7.62mm機関銃DT×2 (2,394発)
装甲厚:   15〜70mm
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2005年09月01日

シャーマン中戦車

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はっきりいってこれといった特徴のない戦車である。背が高くずんぐりとした車体。おわんを伏せたような円柱の砲塔。時代遅れのコイルスプリング方式のサスペンション(螺旋状のばねによって支える方式。初期の戦車に多用された)。背の高い車体は敵の的になりやすく、連合軍の兵士たちからは不評であった。

この戦車からは精悍さやたくましさといったものは何も感じられない。平凡な戦車である。その性能も平凡で、当時の主流の75mm砲を装備、31トンの重量で400馬力のエンジンを搭載し、時速40キロメートルの速度であった。ノルマンディー上陸後のドイツ戦車との戦いでは、シャーマン戦車は苦戦を強いられることとなった。その当時のドイツ機甲部隊の主力は、4号戦車、パンサー戦車、3号突撃砲などであったが、シャーマンが互角に戦うことができたのは4号戦車ぐらいであった。ドイツの重戦車ティーガー戦車が出現したときなどは、圧倒的戦力差から、連合軍の戦車兵たちがパニックに陥り、逃げ出すほどであった。

このような戦車が、なぜ主力戦車の座にあり続け、連合軍を勝利に導いたのだろうか。それは、その膨大な生産数と、機械的な信頼性の高さであった。シャーマン戦車はその単一の車種のみで6万輌以上生産されている。平面的な車体の構成と、鋳造(型に鉄を流し込んで生産する方式。曲面の形成が容易で大量生産に向いている)の砲塔により、シャーマンは極めて生産性が高かった。6万という数字は、第二次世界大戦中のドイツのあらゆる種類の戦車の生産数の合計よりも大きい数である。なるほどたしかにシャーマンは個別的なドイツ戦車との戦いで敗れはしたが、圧倒的な数の力で全体的な戦いに勝利したのである。

そしてシャーマンは他の戦車と比べ故障が少なかった。これは自動車生産大国アメリカの技術的な底力に裏打ちされたものだった。そのため、ドイツ軍でさえも鹵獲(遺棄された車両などの取得や、降伏などにより車両などを手に入れること)したシャーマン戦車を好んで利用した。ソ連軍でもレンドリース(武器貸与)されたシャーマンを重用した。第二次大戦後のイスラエルでも、独自の改造を加えられつつも使われ続けたのである。

このような視点からも、戦車という兵器の持つ強さが明らかになろう。つまりカタログデータのみの戦闘力ではなく。その生産性・機械的な信頼性などの要素の考慮である。そういった意味でシャーマン戦車は傑作戦車ということもできるのである。


M4シャーマン中戦車
全長:5.94m
全幅:2.61m
全高:2.74m
重量:31トン
主砲:75mm
機関銃:2
馬力:400
最高速度:40km
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2005年08月17日

ティーガーT戦車

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戦車の中でもっとも有名な戦車といえば、やはりこの「ティーガー戦車」を挙げずにはいられないだろう。1942年末の出現当初、その重武装により向かうところ敵なしで、優れたドイツの戦車兵とあいまって数々の伝説を打ち立てている。

有名なところでは、東部戦線で敵戦車百両以上を撃破したオットー・カリウス。フランスのヴィレル・ボカージュで、イギリスの一個旅団をたった一両のティーガー戦車によって食い止めたミヒャエル・ヴィットマンなどがいる。

ティーガー戦車の強さはその攻撃力と強靭な防御力にある。8・8cm56口径の主砲は、当時のどの戦車が装備していた砲よりも強力であった。防御では、正面装甲10cm、側面でも5cmの厚さがあった。30発以上の対戦車砲および戦車砲、100発以上の小口径砲、数発の地雷を受けてながら、50km以上を自走し自軍の陣地に帰還した例もある。

このように非常に強力なティーガー戦車であるが、弱点はいくつもあった。第一に、その重武装に起因する重量過多であり、鈍重さであった。技術水準の低い当時の宿命ではあったが、特にティーガーの場合、重量に対するエンジンの出力が低すぎて起動性能はきわめて低かった。ティーガーは約60トンの重量に対し700馬力のエンジンを積んでいたが、現在の戦車はそれとほぼ同じの重量に対し、約二倍の1500馬力程度のエンジンを積んでいる。これを比較すれば一目瞭然であろう。加えて、エンジン・駆動系統にかかる負担が大き過ぎ、故障が多発した。いわば「卵の上に載った鉄塊」なのである。重すぎて、トレーラー、列車での運搬も困難を伴った。列車運搬の際は、貨車の幅に合わせるため、わざわざ幅の狭い履帯(キャタピラ)に履き替えたほどであった。

また、このような高性能の戦車を製造することは、非常に手間のかかることであり、1942年7月の量産開始から1944年8月の生産終了までに製造されたのはわずか1300両程度に過ぎない。それに対し、ライバルのソ連のT34やアメリカのM4シャーマンなどは生産期間は違えど、両方とも5万両以上大量生産されている。ティーガー戦車の平均的なキル・レシオ(撃破比)はだいたいティーガー1両に対し10両である。ティーガーが1両破壊される間に敵は10両スクラップにされていたのである。しかしいくら優秀な戦車でも、数十倍もの戦車を相手にいつまでも戦い続けることはできなかったのだ。

ティーガー戦車、それは量に対して質を持って覆そうとした戦場の徒花であった。



ティーガーT:基本性能(後期型)
全長:8.455m
車体長:6.335m
全幅:3.705m
全高:2.855m
全備重量:57.0t
乗員:5名
エンジン:マイバッハHL230P45 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力:700hp/3,000rpm
最大速度:40km/h
航続距離:195km
武装:56口径8.8cm戦車砲KwK36×1 (92発)
   7.92mm機関銃MG34×2 (5,850発)
装甲厚:25〜100mm
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