2006年01月31日

大学のテスト

一月の二週より二日にひとつくらいのペースでだらだらとテストが続いております。今月は更新が滞りがちで申し訳ありませんでした。

面白い戦車の写真がありましたのでご紹介いたします。

(ソ連軍空挺戦車)
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posted by 戦車男 at 13:26| 東京 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月11日

あけましておめでとうございます!

年末年始と長らく更新が滞っておりました。申し訳ありません。先日成人式を終えて東京に戻ってまいりました。実家のIT環境が極めて貧弱(未だダイアルアップ。50KB/秒。使用中は電話が使えない)な上、頼みの綱の図書館が閉館だったのが理由であります。

これから再び記事のほうを充実させて参りますので、今後ともどうぞよろしくお願いします!
posted by 戦車男 at 14:33| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月24日

地元に帰省いたします。

ブログの更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。忘年会や帰省の準備など、いろいろと忙しく今日まで延びてしまった次第です。

大学も冬休みに入り、いよいよ本年も終わりに近づいてきました。私、出身は静岡でして、明後日地元に帰る予定です。地元でも投稿いたしますので年内に後何度か更新できるとは思いますが、何分実家のネット環境が貧弱なので、再び滞ってしますかもしれません(笑)
posted by 戦車男 at 20:19| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月08日

ゼミが決まりました。

私事で恐縮ではありますが、来年から取るゼミが決まりました。国際関係と安全保障を専門としている山本武彦先生のゼミに決まりました。

ゼミでは、国際関係と安全保障を「地政学」の視点から見ていきたいと思っています。地政学は日本ではあまり盛んな学問ではではありませんが、欧米では軍事や国際関係を中心に用いられているスタンダードな学問です。

地政学を簡単に言うと「地理的条件と政治の関係を理解する」ということです。国際関係や安全保障は基本的に力と力の関係のリアリズムです。地政学は、そういった国際関係における力のかけ具合や、相手国の弱点、世界の力の流れなどを地理的な観点から分析します。

どうも見ていると教授の研究の方向とは異なりますが、私は以上のような方針で今後大学の勉強を進めていくつもりです。余裕があればその成果もこのブログで紹介したいと思います。
posted by 戦車男 at 16:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月30日

『日本人の歴史哲学』の紹介

今月中旬、私の所属する磐南総合研究会代表岩田温が『日本人の歴史哲学』を出版致しました。今回の記事では、その紹介をしたいと思います。

『日本人の歴史哲学』の目的は、戦後60年間、そして今もなお日本の空気であり続けている左翼の歴史哲学、「東京裁判史観」にかわる歴史観を打ち立てることにあります。

本書では、歴史哲学に対する考察を深めるため、まず古今東西の哲学者の思索を辿りますヘーゲルの自由と精神の歴史哲学、ベルジャーエフの神学的な歴史哲学、E・H・カーの科学的な歴史哲学、坂本多加雄の「来歴」に基づく歴史哲学などです。

次に、こうした「歴史哲学」を体現する場としての「国家」についての考察、そして、行動によって具体的に歴史哲学を実践してきた西郷隆盛や特攻隊などの過去の先人たちを見ていきます。

以上のような思索を踏まえた上で、我々が持つべき「日本人の歴史哲学」についての結論に至ります。

本書の内容は、少々難解ではありますが、代表を中心に会員一丸となって努力した成果であり。非常に読みごたえのある内容と自負しています。もし興味がございましたら、どうぞお手にとって見て下さい。よろしくお願いします!

日本人の歴史哲学―なぜ彼らは立ち上がったのか
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展転社

なお、本書には「からごころ」・「正義の喪失」などで有名な埼玉大学教授の長谷川三千子より、推薦の辞をいただきましたのでご紹介いたします。


(推薦の辞・長谷川三千子)
ただそのまゝ虚空のうちに呑まれ、消え去つたとばかり思つてゐた、自らの語つた言葉、書いた言葉が、思ひもかけず、若々しい声の響きをもつて、こだまとなつて返つてくる―これほど幸せな体験が、またとあらうか。

岩田温氏の著『日本人の歴史哲学』の原稿を送つてもらつたとき、私がまづ感じたのは、さうした素直なよろこびであつた。

しかも、それは決して単なる「こだま」でも「鸚鵡がへし」でもない。かつて私のものであつたそれらの言葉は、その本意を保ちながら、いまや完全に著者自身のものとなつて、その構想のうちにぴたりと位置づけられ、使ひこなされてゐる。それが何よりも嬉しいのである。              
この書の構想は、途方もなく大きなものである。もしこれが、どこかの大学の後期博士課程の学生の博士論文として企画されでもしてゐたら、担当の指導教官は大あわてで、もつと主題を小さく縮小するやうに、と忠告したことであらう。そして、それと同時に書き手の精神も萎縮させられてゐたところだつたであらう。この書が、アカデミズムの小さな柵のうちに囲はれることなく、同世代の若者たちとの間の生き生きとした議論に育まれて生まれ出てきたことを、心から祝福したいと思ふ。

もちろん、各々の分野の専門家が見れば、各章の各節がそれぞれ一冊づつの著書をなすべき大主題であつて、それをこんな風にずばり、ずばりと大づかみにしてゆくのは、荒つぽさのきはみである、と言ひたくもならう。しかし、よく見ると、岩田氏の「大づかみ」は、決して空疎な「大づかみ」ではない。むしろ、その一つ一つの考察は緻密と言つてよいほどであつて、氏の筆は、それぞれの相手、ヘーゲルやホッブズや福沢諭吉らの核心部分に急降下し、鋭い嘴でその髄をつかみ出すのである。

さういふことが可能となつたのも、おそらくは、著者のうちに「精神」といふ言葉が、生きた意味をもつて響きつづけてゐるからであらう。「精神」とは、実体でもなければ、なんらの 教条 ( ドグマ ) でもない。「精神」とは、肉体を有するこの小さな一個の自己が、自国の歴史の或る一瞬に自己を燃焼するとき、そこに閃めく一条の光である。そして著者は、いかなる高名な哲学者や歴史家や歴史上の偉人に対しても、怖めず臆せず、無言のうちにかういふ問ひを突きつけてゐるのである――お前は、本当に「精神」を見ようとしてゐるのか?お前は本当に「精神」をもつて生きたのか?

こんな風に突きつけられてみると、皮肉なことに、「 精神 ( ガイスト ) 」をうたひ文句にかかげ、「 精神 ( ガイスト ) 」の自己展開が歴史なのだと主張するヘーゲルの歴史哲学が、まさにまるで「精神」と無縁なものであることをさらけ出してしまふ。そしてまた、単なる「狂信」に支へられたテロと、大東亜戦争末期に特攻に志願して散つていつた人々との差がどこにあるのかといふことも、このやうな問ひをつきつけることによつて、自づと明らかになるのである。

しかしまた、心のうちに「精神」といふ言葉を大事にかくし持つてゐる者はみな、現代の日本、のみならず現代の世界といふものに対して、或る絶望的な思ひを抱かざるを得ない。この著者のはじめにも、著者は昭和四十五年に書かれた三島由紀夫の言葉「このまま行ったら…(略)…日本はなくなつて、その代りに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」を引き、この予言どほりにことがすすんでゐることを憂へてゐる。けれども、少なくともこの著書を読んだ人々は、三島氏とは違つて、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない」とは言はずにすむであらう。ここには、すべてが無機的でからつぽになつてしまつた、そのコンクリートをうち破つて顔を出す、「精神」の芽吹きを見て取ることができるのである。


本書の詳細はこちらをご覧下さい。
http://www.nihon-hp.com/
posted by 戦車男 at 17:10| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月27日

再び、日本軍に鹵獲された戦車

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スチュアート軽戦車です。「軽」といっても約15トンあり日本の97式中戦車とあまり変わりません。正面装甲50mm、砲は37mmでも貫通力に優れていました。ビルマ戦線で、鹵獲したスチュアートによってグラント戦車を撃破したという記録があります。また今度、鹵獲戦車についてまとまったものを書いてみたいと重います。
posted by 戦車男 at 23:52| 東京 🌁| Comment(9) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月26日

磐南総合研究会主催「出陣学徒慰霊祭」の開催

来る12月3日に、私が所属しております保守派学生NPO法人・磐南総合研究会が主催致します、「出陣学徒慰霊祭」が靖国神社にて執り行われる予定です。多数の識者の方もご来場されますので、ご都合つきましたらぜひご参列ください。


実施要綱;平成17年12月3日(土)

第一部  出陣学徒慰霊祭記念集会
     靖国神社内靖国会館2階 開場12時30分   開会13時

■代表挨拶 岩田  温

■学生意見表明  木下淳平、早瀬善彦

■識者によるリレートーク形式(一人10分)
(登壇者50音順・敬称略)
井尻千男 (拓殖大学日本文化研究所所長)
板垣正(元参議院議員・日本遺族会顧問)
小堀桂一郎 (東京大学名誉教授)
加瀬英明 (外交評論家)
清水馨八郎 (千葉大学名誉教授)
頭山興助 (呉竹会会長)
西村幸祐(評論家・戦略情報研究所客員研究員)
藤井厳喜 (拓殖大学客員教授)
水島総 (日本文化チャンネル桜社長)
米田建三 (帝京平成大学教授)

第二部 出陣学徒慰霊祭靖国神社参集所16時集会

詳しくは→http://www.wadachi.jp/ireisai/まで!
posted by 戦車男 at 21:15| 東京 ☁| Comment(11) | TrackBack(1) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月14日

アクセス5000突破!!!

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(ケーニヒス・ティーガー)
サイト開設から約3ヶ月、ついにアクセス5000を突破しました!次は10000に向けてがんばっていきます。これからも「戦車男」を応援お願いします。
posted by 戦車男 at 15:30| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月12日

ポーツマスネットワーク記念シンポジウムのお知らせ

私、戦車男が所属する学生中心の若手保守派の会、「磐南総合研究会」が運営する「ポーツマスネットワーク」の主催で、11月19日午後1時半より、千代田区にある学士会館にて記念シンポジウムを行います。

明治の気概〜日本人の可能性〜」のテーマで、四人のパネリストの先生方に熱い議論を交わしていただきます。お招きする先生は、井尻千男(拓殖大学日本文化研究所所長)、加瀬英明(外交評論家・元首相補佐官)、藤岡信勝(拓殖大学教授)、宮崎正弘(評論家)です(敬称略)。

加えて、当日にはスペシャルゲストの先生にもご登場していただく予定です。東京近郊にお住まいの方で、都合のよい方がいましたら、どうぞ参加ください。


ポーツマスネットワークおよび、シンポジウムの詳細は下のHPを見てください。

■「ポーツマスネットワークhttp://www.nichiro-pn.com/

■「磐南総合研究会http://www.wadachi.jp/
posted by 戦車男 at 23:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月11日

クルスクの大戦車戦

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皆様は「クルスクの戦い」をご存知だろうか。ヒトラーが「ツィタデレ(城塞)作戦」と名づけ、ドイツ軍最後の乾坤一擲の大攻勢となった戦いである。

1943年春スターリングラードの戦いでの敗北から落ち着きを取り戻したドイツ軍は、第三次ハリコフ攻防戦でソ連軍に勝利し、夏の攻勢に向けて気勢を上げていた。ハリコフでの勝利により、ロシア南部のドイツ軍戦線は北側で前進。もとより前方にあった黒海側の南方戦線との関係で、中央部をコの字型に囲むように戦線が形成された(写真参照)。逆にソ連側から言えば、この地域はドイツ軍戦線に対する突出部であった。

この突出した戦線のちょうど中心にあった都市がクルスクであり、この戦いの名前の由来である。ヒトラーはこの包囲下にある獲物に目をつけ、南方軍総司令官のエーリヒ・フォン・マンシュタインに先手を打った攻勢を要求した。一方、マンシュタインはソ連軍に先に攻撃をさせ、軍が疲弊し補給が伸びきったところで一挙に反撃、これを殲滅する作戦を提案した。これが有名な「後の先」作戦であり、その有効性はハリコフの戦いで証明されていた。長期にわたる戦争で相対的に弱体化したドイツ軍には、積極的攻勢はあまりにもリスクが大きいと考えたのである。

だが、ヒトラーはソ連軍にみすみす進撃を許すことを断固として許さなかった。ソ連軍の準備が整う前に攻撃する「先の先」を主張した。マンシュタインは作戦を急ぐという条件でやむなく「先の先」を採用することを認め、作戦は5月に開始されることが決定した。

しかし、戦力の充実や、新型戦車パンターの配備に合わせるため、ヒトラーは作戦を何度も延期した。その間、ソ連軍はドイツ軍の攻勢の情報をキャッチし、クルスク周辺の防備を急ピッチで調え始めていた。結局作戦が実施されたのは7月に入ってからであった。
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1943年7月5日、ついにツィタデレ作戦が発動された。南方・中央・北方の三正面、合わせて約300キロにも及ぶ戦線にドイツ軍がなだれ込んだ。だが、作戦の開始直後からドイツ軍は強力な防御陣地にぶつかり、苦戦を強いられた。ソ連軍が建設したパックフロントと呼ばれる防御陣地は、戦車に対する塹壕というのにふさわしいものであった。対戦車壕、対戦車銃、対戦車砲、ダックインした戦車、カチューシャロケット砲、後方の砲兵陣地。あらゆる兵器がドイツ軍の進撃を阻止するために備え付けられ、それは何重にも及んでいた。

7月12日、南方のプロホロフカで彼我合わせて約1500両ともいわれる戦車が激突した。KB重戦車ティーガーに体当たりを行ったり、T34が何十両もの群れを成して飛び掛ったりするような戦車の肉弾戦が繰り広げられた。激しい戦車戦は一日中にも及んだが、結局どちらが勝利したのかわからない状況で、戦いは下火になってしまった。

ドイツ軍が必死でクルスクに取り掛かっているとき、ソ連軍は北方のオリョールで攻勢を開始。西側の連合軍もシチリア上陸作戦を開始した。この報を受けたヒトラーは作戦の中止を宣言。こうしてドイツ軍最後の大規模攻勢は尻切れトンボで終結してしまった。最終的にドイツ軍は各前線で50キロほど前進したに過ぎず、クルスクに到達するにはまだ倍以上の距離を残していた。

この戦いで両軍が動員したおおまかな兵力は、兵員約200万人、戦車4000両、航空機5000機、砲20000門以上と考えられている。私が不思議に思うのは、このような大規模な作戦がなぜ教科書で取り上げられていないのかという疑問である。この作戦の動員数はノルマンディー上陸作戦に匹敵する。むしろよく教科書に取り上げられるシチリア上陸は戦局に大きな影響を与えたと思えない(イタリアはもともと枢軸のお荷物だし、イタリア中部のグスタフラインでほぼ終戦まで戦線が動かなかった)。この事実を世に伝え、広めることが必要であろう。

この作戦以降、ドイツ軍は一方的後退を続けることになる(バルジの作戦を除く)。スターリングラードの戦いが戦局の分水嶺だといわれるが、私はこのクルスクの戦いこそが分水嶺だと思う。マンシュタインは、このクルスクの戦いまで、ドイツの最終的勝利の可能性を確信していたのである。だが、この敗北を受けてその確信は崩壊した。その詳細は彼の著「失われた勝利」に詳細に書かれている。

こういった点からもクルスクの戦いに対する再考が求められる。
posted by 戦車男 at 02:08| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月05日

早稲田祭

本日と明日の二日間、早稲田大学にて大学祭が催されます。東京近郊でお暇な方はどうぞいらしてください。模型研究会や戦史研究会などもありますのでいろいろと楽しめるかと思います。
posted by 戦車男 at 14:52| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月01日

プラモデル製作の思い出

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中学のころ、プラモデルの戦車にかなりはまっていました。たしか初めて作ったのがレオパルド1だと思います。といってもただパーツをつないで組み立てただけで非常に稚拙なものでした。

次に作ったのが写真に出ているパンターだと思います。缶スプレーでダークイエローに塗装し、本格的(?)な出来栄えにけっこう感動した記憶があります。その後そのパンターは冬季迷彩と称して白く塗ったり、学校から持ってきたチョークなどでウェザリング(汚し)を施したりと、いろいろな実験に使いました。最終的にはエアガンの射撃の的にしてしまったのですが、少し可哀想だったかなと今思います。

その後、V号突撃砲、ヘッツァー、V号戦車、ブルムベア、ティーガーTを製作しました。この内のV号戦車なのですが、24分の1の大きさで標準のスケール(35分の1)より少し大きく、もともとモーターライズのモデルだったようで、キャタピラや転輪が可動できるタイプでした。このV号戦車を壊れたラジコンと組み合わせて、ラジコン戦車にしようと僕は試みました。

プラモ屋でパテやギア、シャフトなどを購入し、モーター部分はリモコン戦車のモーターを流用しました。プロポは自動車のラジコンの物を流用し車体に組み込みました。三日ほど悪戦苦闘して製作し、やっと完成させることができました。

しかしながら、モーターから動力を伝える起動輪の部分のシャフトの支えの強度が弱く、その部分が壊れてしまいすぐに動かなくなってしまいました。改良して何とか動かそうとはしたのですが結局子供の知恵では不可能でした。

中学三年のとき、エアガン会社の東京マルイから、エアガンが発射できる90式戦車のラジコンを購入しました。自作するよりメーカーが作る確実なものがいいと感じてたからかもしれません。それでも、苦闘してプラモデルを製作した思い出はいいものだったと思います。

まだ、箱すら開けてないキングタイガーが実家に残っているので、また暇があったら作ってみたいと思います。
posted by 戦車男 at 17:58| 東京 ☀| Comment(114) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月31日

ちなみにその時のレジュメです。

『この国のかたち』45 GとF
◆はじめに
「GとF」の中では、欧米の絶対的な存在としての神「GOD」と、日本における相対的な宗教観が描かれている。さらに司馬氏は、近代に入ってキリスト教が世俗化されてからもなお、文学の中に神
学の系統を引き継いだ絶対虚構「FICTION」が相続されていると主張した。この発表の中では、司馬氏の記述を参考にしつつ、欧米のキリスト教の宗教観を、日本の多神教の宗教観と対比して、考察を深めたいと思う。

◆キリスト教の宗教観
@神
万物の創造主であり唯一絶対の神。多神教は未開の地における低級な宗教とされ、迷信だと考えられた。宣教師が全世界に派遣され、積極的に布教がされたのも「未開の地を文明化し、啓蒙する」という使命感があったことに関係する。唯一の存在である神の権威を守るため、戴く神を異にする者や、異なった宗派に対する排他性が非常に強い。米国などにおいて「進化論」と「インテリジェンス・デザイン論(神による創造)」が激しい論争を巻き起こしているのも、ここに原因がある。

A自然観
自然は野蛮で邪悪なものとされ、人間の手によって文明化・克服されるべきものとされた。こういった自然観の要因はキリスト教をはじめ、一神教(イスラム教、ユダヤ教)の発祥の地が、人間の手を加えなければ生活できないような、非常に自然の厳しい土地であったからだと考えられる。万能の神がなぜ「悪」の存在を創造したのかという疑問には、「神の収縮」という神学上の仮説で説明がつく。簡単に言うと、「神の収縮」とは、もともと全世界を覆っていた神が、人間に自由を与えるため自発的に収縮し、その空間にできたのが現在の世界であるという仮説である。それゆえ、神の及ばない範囲であるから現在の世界には悪が存在するのである。逆に言えば、悪を放逐すれば本来の世界を取り戻すことができる。このことからも、自然や悪に対する厳しい態度が理解できる。

B死生観
信者のみが救われる。魂は神の元に昇り、楽園で幸福な生活を送る。

C文化などへの影響
司馬氏が「GとFの土壌から科学がおこった」(『このくにのかたち二』p248)ということについて考えてみたい。

「ヨーロッパの哲学者はギリシア以来、絶対という唯一の虚構を中心におき、それを証明すべく迫っていく営みらしい」(同上p246)という司馬氏の指摘は、以下のドイツの哲学者ヘーゲルの記述を見れば納得がいくと思う。

「世界は偶然や外的原因にゆだねられるのではなく、神の摂理によって支配される」(ヘーゲル著・長谷川宏訳『歴史哲学講義・上』p30)、「わたしたちは、世界史のうちに摂理の理路と、摂理の手段およびあらわれを認識するという課題に真剣にとりくみ、歴史と理性の原理を関連づけなければなりません」(同上p32)。

ずいぶん回り道をしたが、私が言いたいことは、キリスト教の信者たちが、「この世界は神が創造した。だから世界は理性的な摂理によって支配されている。この摂理を証明することによって神の存在は証明されるし、この世界が本来の姿を取り戻す」という考えを潜在的に持っていて、それが科学の様々な法則の発見や技術の開発に結びつき、産業革命を生み出したのだということである。

◆日本の宗教観
@神
多神教であり、その存在は相対的。八百万の神と呼ばれ、あらゆるものが神となる。大別すると自然神と文化神(生活に関わる)に分かれる。自然神には太陽・山・海・川・火や、蛇・狸・狐・鹿などの動物まである。ずば抜けて大きい巨木や落雷を受けて傷ついた大樹が神木とされるケースもある。文化神としては、屋敷神・氏神・村や町の鎮守の神・縁結びの神・死神などが代表的である。また、人間が神になるケースもある。死んで神になり、子孫に祀られるという場合は日本では一般的である。

天皇も現世において最も上位にいる者として神であると考えられた。戦後に、わざわざ「人間宣言」なるものがなされたのは、進駐軍の欧米人が天皇を「GOD」だと勘違いしたからである。神仏習合など、仏教の日本化に見られるように、外来の神は日本の文化に合うように馴致され、既存の神々と共存する。キリスト教が振るわなかったのは、一神教の排他性が日本の曖昧な宗教風土になじまなかったことが考えられる。

A自然観
上記のように、自然には様々な神が宿るため、尊敬・崇拝の対象となり、自然とは調和・共存が図られる。日本はキリスト教の発祥地の風土は異なり、自然が非常に豊かであった。さらに、その一方で、地震・台風・洪水・火山など、自然災害が多い環境であったことも神々が崇拝された要因であるかもしれない。

B死生観
「成仏する」という言葉にあるように、人は死ねば仏となり神になる。天国や地獄、極楽浄土などという概念も存在するがキリスト教に比べると曖昧としたものである。浮遊霊となったり、守護霊となったりするケースもある。共通することは、死者が信仰・崇拝の対象となり、祈りを捧げるとき、霊魂の存在に思いをめぐらすことである。

17世紀、「あなたたち信者は救われる」と説いた宣教師に、日本の民衆が「それなら亡くなった自分のおとうさんやおばあさんは救われないのか」と問い詰めたところ「その通り救われないのだ」と断定をしたところ、人々は声をあげて泣いたという。

このような話に見られる、死者や祖先に対する崇拝が日本の特徴であると考えられる。靖国神社参拝問題も、死者に罪はないとする日本の宗教的風土の影響があるのかもしれない。

C文化などへの影響
文化などへの影響について、司馬氏は「技術というのは汎神論的なこまごまとしたリアリズムの上に立っているから、そのせいで得意芸なのかとも思えたりする」(『このくにのかたち二』p248)というような主張をしている。

私は、日本の宗教はあまりにも生活と一体化し混然としてしまっているので、宗教が一体どこからどこまで影響をあたえているのかという具体的なことは分からない。大まかに分かることで言えることは、外来の文化の優れたところを受け入れ、さらに日本独自の改良を加えるという風土を形作ったということではないだろうか。ここに日本の得意な加工産業の原型を見ることができる。

もう一点加えるとしたら、日本が特定の宗教・神に縛られなかったことで、宗教の世俗化が非常に早い段階で達成され、明治における近代化に何の障害ももたらさなかったことである。ヨーロッパで宗教の世俗化のために多くの犠牲が払われたことを考えると、非常に幸福であると考えざるをえない。

◆総括
宗教は、その国の文化の根幹を成す重要なものである。上で見てきたように、宗教が歴史において大きな影響をあたえ続けたことは明らかである。現代においてもその重要性は変わってはいない。イラク戦争において、すぐに「キリスト教とイスラム教の戦い」という構図が考えられてしまうのがその証左となろう。

宗教が人々を救済し、心のよりどころとなっているのは明らかである。このように正の面ではたらいている分には問題ないのだが、迷信や偏った情熱から対立を招くことがしばしばある。特に一神教の場合には排他的・絶対的な性格からその傾向は顕著である。共存・共栄が課題となっている現代世界において、今後は調和的な東洋宗教が注目されていくのではないのだろうか。

参考文献
司馬遼太郎『この国のかたち二』文春文庫
西尾幹二『国民の歴史』産経新聞社
渡部昇一『日本史から見た日本人・古代編』祥伝社
佐藤優『国家の自縛』産経新聞社
ヘーゲル著・長谷川宏訳『歴史哲学講義・上』岩波文庫
posted by 戦車男 at 19:48| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月25日

大学の授業にて

皆さんには申し送れましたが、私は大学生で、現在早稲田大学政治経済学部で政治学について学んでいます。今日、ゼミ形式の授業で、私が発表の担当でした。司馬遼太郎の「この国のかたち」という本を皆で読んで、担当者が発表すると言う授業です。

担当箇所は「GとF」というタイトルで、西欧の絶対的な神と東洋のあいまいな多神教について論じられている章でした。色々な文献を読んできて、内容の充実したレジュメを作成したのですが、まったく議論が深まらず不活発な授業になってしまい残念でした。普段も不活発な授業なので、面白い授業にしてやろうと意気込んでいたのでしたが、結局失敗に終わりました。

はっきり申し上げますと、今の大学生はぜんぜん勉強していません。遊んでいる人ばかりです。遊ぶことも確かに重要なことですが、学生である以上、学問が本分であってほしいものです。一部、資格試験などに必死になって勉強している人もいますが、本来の大学の性質を考えると、それが本流であってほしくはないです。

以上のようなことを考えた次第です。
posted by 戦車男 at 21:06| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月19日

ようやく晴れ間が見えました

ここのところ、連日雨が続き、風邪を引いてしまいました。季節の変わり目ですから皆さんもお気をつけください。
posted by 戦車男 at 14:36| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月13日

日本軍に鹵獲されたドイツ戦車

HAMANO5.jpg
中国軍が使用していたT号戦車です。奇妙な因果ですね。
posted by 戦車男 at 10:31| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月10日

アクセス数1500突破!感謝御礼!!

私事でしばらく更新を怠っておりましたが、その間にアクセス数が1800にも達していました!「戦車男」をご覧の皆様、いつもありがとうございます!!今後もますます記事を充実させていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いします!

本ブログに対するご意見・要望などございましたらどんどんコメントに書いてください。楽しく知的なページにしていきたいと思います。
posted by 戦車男 at 19:53| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月05日

デザイン更新

グリーンとベージュでミリタリー調な雰囲気になったように思います。ミリタリー風に言えば、オリーブドラブ(米軍など)とダークイエロー(ドイツ軍)でしょうか(笑)これからも「戦車男」をよろしくお願いします!
posted by 戦車男 at 23:03| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月30日

戦争劇画

ご存知の方も多いと思いますが、皆様は小林源文という漫画家をご存知でしょうか!?漫画家離れしたデッサン力で、ペンと薄墨のみでいろんな時代・地域の戦争劇画を書いている人です。とにかく戦車・戦闘機・人物など、絵が上手いです。

架空のドイツ軍戦車中隊の活躍を描いた「黒騎士物語」、ドイツの懲罰大隊をモチーフにした「カンプクルッペZPV」などの単行本があります。また学研の「歴史群像」でも、巻末で独ソ戦争の戦史を書いております。戦車模型の雑誌「アーマーモデリング」などの各種ミリタリー雑誌でも連載を抱えている、この道では有名な方です。興味がありましたら一度手にとって見てください。

小林源文先生のホームページ↓
http://www.genbun.net/index2.html
posted by 戦車男 at 21:19| 東京 ☁| Comment(8) | TrackBack(2) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

NPO団体「磐南総合研究会」

開設にあたる記事でも紹介いたしましたが、私戦車男は学生を中心とした若手保守派が集まる団体、「磐南総合研究会」に所属しております。磐南総合研究会は「智の力によって日本を変える」という目標の元、精力的に活動しております!

普段の活動としましては、原則月二回の勉強会(参加者全員が課題図書を読み、担当者がレジュメを作成し発表)、年四回の定期講演会(これまでに埼玉大学教授の長谷川三千子先生、正論のNHKウォッチングで有名な中村先生、「侵略の世界史」で有名な清水謦八郎先生などに講演していただいております)、機関紙「澪標」の月一回の発行、年二回の総会、年一回の勉強合宿などを行っています。また、昨年度から靖国神社におきまして、「出陣学徒慰霊祭」を行っており、本年度も12月3日に(土)行う予定です。

興味のある方はこちらをご覧ください↓

磐南総合研究会HP
http://www.wadachi.jp/
posted by 戦車男 at 13:40| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(2) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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