2005年09月19日

戦車の装甲A

前回のコラムから時間が経ってしまったが、戦車の特徴である防御力について、引き続き見てみよう。前回では主に第二次世界大戦までの装甲の発達を見てきた。今回は戦後における装甲の変遷を中心に見てみよう。

戦後初期の戦車の装甲の特徴は第二次大戦中期から発達していた、被弾経始の重視であった。被弾経始とは本来は築城の用語であるが、装甲に角度や丸みをつけて砲弾を弾きやすくすることである。また、装甲板を傾斜させることによって砲弾が通過する部分の実質的な厚みを増加させることができる(下図参照)。
DSCF0002.JPG
ソ連のT55やアメリカのM48、日本の61式など、戦後初期の第一世代といわれる戦車のいずれも、おわんを伏せたような丸い砲塔に傾斜した車体装甲を持っているのはこのためである。

M48
m48mbt_01.jpg

さらに、戦車は大戦後に発達した歩兵の対戦車携行兵器に対処しなければならなかった。このためリアクティブアーマー(戦車の装甲の上に取り付けられ、対戦車兵器の命中に際して爆発し、それら兵器の貫通力を相殺する)や、様々な増加装甲が開発され、用途に応じて戦車の装甲の強化がなされた。加えて、このころから戦車にはNBC兵器(核・生物・化学兵器)に対する防御が付加された。ソ連は、核戦争下で行動しうる唯一の兵器は、戦車を中心とする装甲部隊であるとして戦車を非常に重視した。

戦後の戦車の装甲におけるエポックメイクとなったのは、1979年に量産が開始されたレオパルド2戦車である。これまでの被弾経始重視の戦車とはまったく異なり、垂直面で構成された四角い箱のような戦車だったのである。このような装甲になったのにはいくつか理由がある。

第一に、対戦車砲の発達により、砲弾速度がきわめて早くなったために、装甲を傾斜させてもほとんど意味がないということであった。加えて傾斜装甲は、積の割りに車内スペースとして使える容積が少なくなってしまう不便さがあった。ソ連の戦車などは狭すぎて乗員の身長制限があるほどである。  

第二に複合装甲の採用である。それまで外付けの増加装甲で補っていた機能を織り込んだ装甲である。複合装甲は各国で秘密にされているためその正体はいまだはっきりとしていない。概念としては、それまでの通常の鋼板の装甲にセラミックなどの新素材をサンドイッチしたものと考えられている。レオパルド以降の第三世代と呼ばれる戦車にはいずれもこの複合装甲が採用されている。現在ではさらなる防御力強化のため、レオパルド2のショト装甲など、新たな増加装甲が開発されている。

盾と矛の際限のない開発競争は、戦車がある限り今後とも続いていくだろう。
posted by 戦車男 at 21:53| 東京 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
友人から米軍の「M1A2」の装甲が劣化ウラン装甲からセラミック装甲に一部変わりつつあるという話を聞きましたが、何かその様な話をご存知でしたら教えてください。
>雑誌の小さな記事だったと記憶しているのですが、切り抜き自体を紛失したらしく雑誌自体が何処の雑誌だったのか判らないのです。
Posted by ざんぶろんぞ at 2005年09月26日 17:43
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