2005年11月30日

『日本人の歴史哲学』の紹介

今月中旬、私の所属する磐南総合研究会代表岩田温が『日本人の歴史哲学』を出版致しました。今回の記事では、その紹介をしたいと思います。

『日本人の歴史哲学』の目的は、戦後60年間、そして今もなお日本の空気であり続けている左翼の歴史哲学、「東京裁判史観」にかわる歴史観を打ち立てることにあります。

本書では、歴史哲学に対する考察を深めるため、まず古今東西の哲学者の思索を辿りますヘーゲルの自由と精神の歴史哲学、ベルジャーエフの神学的な歴史哲学、E・H・カーの科学的な歴史哲学、坂本多加雄の「来歴」に基づく歴史哲学などです。

次に、こうした「歴史哲学」を体現する場としての「国家」についての考察、そして、行動によって具体的に歴史哲学を実践してきた西郷隆盛や特攻隊などの過去の先人たちを見ていきます。

以上のような思索を踏まえた上で、我々が持つべき「日本人の歴史哲学」についての結論に至ります。

本書の内容は、少々難解ではありますが、代表を中心に会員一丸となって努力した成果であり。非常に読みごたえのある内容と自負しています。もし興味がございましたら、どうぞお手にとって見て下さい。よろしくお願いします!

日本人の歴史哲学―なぜ彼らは立ち上がったのか
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展転社

なお、本書には「からごころ」・「正義の喪失」などで有名な埼玉大学教授の長谷川三千子より、推薦の辞をいただきましたのでご紹介いたします。


(推薦の辞・長谷川三千子)
ただそのまゝ虚空のうちに呑まれ、消え去つたとばかり思つてゐた、自らの語つた言葉、書いた言葉が、思ひもかけず、若々しい声の響きをもつて、こだまとなつて返つてくる―これほど幸せな体験が、またとあらうか。

岩田温氏の著『日本人の歴史哲学』の原稿を送つてもらつたとき、私がまづ感じたのは、さうした素直なよろこびであつた。

しかも、それは決して単なる「こだま」でも「鸚鵡がへし」でもない。かつて私のものであつたそれらの言葉は、その本意を保ちながら、いまや完全に著者自身のものとなつて、その構想のうちにぴたりと位置づけられ、使ひこなされてゐる。それが何よりも嬉しいのである。              
この書の構想は、途方もなく大きなものである。もしこれが、どこかの大学の後期博士課程の学生の博士論文として企画されでもしてゐたら、担当の指導教官は大あわてで、もつと主題を小さく縮小するやうに、と忠告したことであらう。そして、それと同時に書き手の精神も萎縮させられてゐたところだつたであらう。この書が、アカデミズムの小さな柵のうちに囲はれることなく、同世代の若者たちとの間の生き生きとした議論に育まれて生まれ出てきたことを、心から祝福したいと思ふ。

もちろん、各々の分野の専門家が見れば、各章の各節がそれぞれ一冊づつの著書をなすべき大主題であつて、それをこんな風にずばり、ずばりと大づかみにしてゆくのは、荒つぽさのきはみである、と言ひたくもならう。しかし、よく見ると、岩田氏の「大づかみ」は、決して空疎な「大づかみ」ではない。むしろ、その一つ一つの考察は緻密と言つてよいほどであつて、氏の筆は、それぞれの相手、ヘーゲルやホッブズや福沢諭吉らの核心部分に急降下し、鋭い嘴でその髄をつかみ出すのである。

さういふことが可能となつたのも、おそらくは、著者のうちに「精神」といふ言葉が、生きた意味をもつて響きつづけてゐるからであらう。「精神」とは、実体でもなければ、なんらの 教条 ( ドグマ ) でもない。「精神」とは、肉体を有するこの小さな一個の自己が、自国の歴史の或る一瞬に自己を燃焼するとき、そこに閃めく一条の光である。そして著者は、いかなる高名な哲学者や歴史家や歴史上の偉人に対しても、怖めず臆せず、無言のうちにかういふ問ひを突きつけてゐるのである――お前は、本当に「精神」を見ようとしてゐるのか?お前は本当に「精神」をもつて生きたのか?

こんな風に突きつけられてみると、皮肉なことに、「 精神 ( ガイスト ) 」をうたひ文句にかかげ、「 精神 ( ガイスト ) 」の自己展開が歴史なのだと主張するヘーゲルの歴史哲学が、まさにまるで「精神」と無縁なものであることをさらけ出してしまふ。そしてまた、単なる「狂信」に支へられたテロと、大東亜戦争末期に特攻に志願して散つていつた人々との差がどこにあるのかといふことも、このやうな問ひをつきつけることによつて、自づと明らかになるのである。

しかしまた、心のうちに「精神」といふ言葉を大事にかくし持つてゐる者はみな、現代の日本、のみならず現代の世界といふものに対して、或る絶望的な思ひを抱かざるを得ない。この著者のはじめにも、著者は昭和四十五年に書かれた三島由紀夫の言葉「このまま行ったら…(略)…日本はなくなつて、その代りに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」を引き、この予言どほりにことがすすんでゐることを憂へてゐる。けれども、少なくともこの著書を読んだ人々は、三島氏とは違つて、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない」とは言はずにすむであらう。ここには、すべてが無機的でからつぽになつてしまつた、そのコンクリートをうち破つて顔を出す、「精神」の芽吹きを見て取ることができるのである。


本書の詳細はこちらをご覧下さい。
http://www.nihon-hp.com/
posted by 戦車男 at 17:10| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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