2005年10月31日

ちなみにその時のレジュメです。

『この国のかたち』45 GとF
◆はじめに
「GとF」の中では、欧米の絶対的な存在としての神「GOD」と、日本における相対的な宗教観が描かれている。さらに司馬氏は、近代に入ってキリスト教が世俗化されてからもなお、文学の中に神
学の系統を引き継いだ絶対虚構「FICTION」が相続されていると主張した。この発表の中では、司馬氏の記述を参考にしつつ、欧米のキリスト教の宗教観を、日本の多神教の宗教観と対比して、考察を深めたいと思う。

◆キリスト教の宗教観
@神
万物の創造主であり唯一絶対の神。多神教は未開の地における低級な宗教とされ、迷信だと考えられた。宣教師が全世界に派遣され、積極的に布教がされたのも「未開の地を文明化し、啓蒙する」という使命感があったことに関係する。唯一の存在である神の権威を守るため、戴く神を異にする者や、異なった宗派に対する排他性が非常に強い。米国などにおいて「進化論」と「インテリジェンス・デザイン論(神による創造)」が激しい論争を巻き起こしているのも、ここに原因がある。

A自然観
自然は野蛮で邪悪なものとされ、人間の手によって文明化・克服されるべきものとされた。こういった自然観の要因はキリスト教をはじめ、一神教(イスラム教、ユダヤ教)の発祥の地が、人間の手を加えなければ生活できないような、非常に自然の厳しい土地であったからだと考えられる。万能の神がなぜ「悪」の存在を創造したのかという疑問には、「神の収縮」という神学上の仮説で説明がつく。簡単に言うと、「神の収縮」とは、もともと全世界を覆っていた神が、人間に自由を与えるため自発的に収縮し、その空間にできたのが現在の世界であるという仮説である。それゆえ、神の及ばない範囲であるから現在の世界には悪が存在するのである。逆に言えば、悪を放逐すれば本来の世界を取り戻すことができる。このことからも、自然や悪に対する厳しい態度が理解できる。

B死生観
信者のみが救われる。魂は神の元に昇り、楽園で幸福な生活を送る。

C文化などへの影響
司馬氏が「GとFの土壌から科学がおこった」(『このくにのかたち二』p248)ということについて考えてみたい。

「ヨーロッパの哲学者はギリシア以来、絶対という唯一の虚構を中心におき、それを証明すべく迫っていく営みらしい」(同上p246)という司馬氏の指摘は、以下のドイツの哲学者ヘーゲルの記述を見れば納得がいくと思う。

「世界は偶然や外的原因にゆだねられるのではなく、神の摂理によって支配される」(ヘーゲル著・長谷川宏訳『歴史哲学講義・上』p30)、「わたしたちは、世界史のうちに摂理の理路と、摂理の手段およびあらわれを認識するという課題に真剣にとりくみ、歴史と理性の原理を関連づけなければなりません」(同上p32)。

ずいぶん回り道をしたが、私が言いたいことは、キリスト教の信者たちが、「この世界は神が創造した。だから世界は理性的な摂理によって支配されている。この摂理を証明することによって神の存在は証明されるし、この世界が本来の姿を取り戻す」という考えを潜在的に持っていて、それが科学の様々な法則の発見や技術の開発に結びつき、産業革命を生み出したのだということである。

◆日本の宗教観
@神
多神教であり、その存在は相対的。八百万の神と呼ばれ、あらゆるものが神となる。大別すると自然神と文化神(生活に関わる)に分かれる。自然神には太陽・山・海・川・火や、蛇・狸・狐・鹿などの動物まである。ずば抜けて大きい巨木や落雷を受けて傷ついた大樹が神木とされるケースもある。文化神としては、屋敷神・氏神・村や町の鎮守の神・縁結びの神・死神などが代表的である。また、人間が神になるケースもある。死んで神になり、子孫に祀られるという場合は日本では一般的である。

天皇も現世において最も上位にいる者として神であると考えられた。戦後に、わざわざ「人間宣言」なるものがなされたのは、進駐軍の欧米人が天皇を「GOD」だと勘違いしたからである。神仏習合など、仏教の日本化に見られるように、外来の神は日本の文化に合うように馴致され、既存の神々と共存する。キリスト教が振るわなかったのは、一神教の排他性が日本の曖昧な宗教風土になじまなかったことが考えられる。

A自然観
上記のように、自然には様々な神が宿るため、尊敬・崇拝の対象となり、自然とは調和・共存が図られる。日本はキリスト教の発祥地の風土は異なり、自然が非常に豊かであった。さらに、その一方で、地震・台風・洪水・火山など、自然災害が多い環境であったことも神々が崇拝された要因であるかもしれない。

B死生観
「成仏する」という言葉にあるように、人は死ねば仏となり神になる。天国や地獄、極楽浄土などという概念も存在するがキリスト教に比べると曖昧としたものである。浮遊霊となったり、守護霊となったりするケースもある。共通することは、死者が信仰・崇拝の対象となり、祈りを捧げるとき、霊魂の存在に思いをめぐらすことである。

17世紀、「あなたたち信者は救われる」と説いた宣教師に、日本の民衆が「それなら亡くなった自分のおとうさんやおばあさんは救われないのか」と問い詰めたところ「その通り救われないのだ」と断定をしたところ、人々は声をあげて泣いたという。

このような話に見られる、死者や祖先に対する崇拝が日本の特徴であると考えられる。靖国神社参拝問題も、死者に罪はないとする日本の宗教的風土の影響があるのかもしれない。

C文化などへの影響
文化などへの影響について、司馬氏は「技術というのは汎神論的なこまごまとしたリアリズムの上に立っているから、そのせいで得意芸なのかとも思えたりする」(『このくにのかたち二』p248)というような主張をしている。

私は、日本の宗教はあまりにも生活と一体化し混然としてしまっているので、宗教が一体どこからどこまで影響をあたえているのかという具体的なことは分からない。大まかに分かることで言えることは、外来の文化の優れたところを受け入れ、さらに日本独自の改良を加えるという風土を形作ったということではないだろうか。ここに日本の得意な加工産業の原型を見ることができる。

もう一点加えるとしたら、日本が特定の宗教・神に縛られなかったことで、宗教の世俗化が非常に早い段階で達成され、明治における近代化に何の障害ももたらさなかったことである。ヨーロッパで宗教の世俗化のために多くの犠牲が払われたことを考えると、非常に幸福であると考えざるをえない。

◆総括
宗教は、その国の文化の根幹を成す重要なものである。上で見てきたように、宗教が歴史において大きな影響をあたえ続けたことは明らかである。現代においてもその重要性は変わってはいない。イラク戦争において、すぐに「キリスト教とイスラム教の戦い」という構図が考えられてしまうのがその証左となろう。

宗教が人々を救済し、心のよりどころとなっているのは明らかである。このように正の面ではたらいている分には問題ないのだが、迷信や偏った情熱から対立を招くことがしばしばある。特に一神教の場合には排他的・絶対的な性格からその傾向は顕著である。共存・共栄が課題となっている現代世界において、今後は調和的な東洋宗教が注目されていくのではないのだろうか。

参考文献
司馬遼太郎『この国のかたち二』文春文庫
西尾幹二『国民の歴史』産経新聞社
渡部昇一『日本史から見た日本人・古代編』祥伝社
佐藤優『国家の自縛』産経新聞社
ヘーゲル著・長谷川宏訳『歴史哲学講義・上』岩波文庫
posted by 戦車男 at 19:48| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月25日

大学の授業にて

皆さんには申し送れましたが、私は大学生で、現在早稲田大学政治経済学部で政治学について学んでいます。今日、ゼミ形式の授業で、私が発表の担当でした。司馬遼太郎の「この国のかたち」という本を皆で読んで、担当者が発表すると言う授業です。

担当箇所は「GとF」というタイトルで、西欧の絶対的な神と東洋のあいまいな多神教について論じられている章でした。色々な文献を読んできて、内容の充実したレジュメを作成したのですが、まったく議論が深まらず不活発な授業になってしまい残念でした。普段も不活発な授業なので、面白い授業にしてやろうと意気込んでいたのでしたが、結局失敗に終わりました。

はっきり申し上げますと、今の大学生はぜんぜん勉強していません。遊んでいる人ばかりです。遊ぶことも確かに重要なことですが、学生である以上、学問が本分であってほしいものです。一部、資格試験などに必死になって勉強している人もいますが、本来の大学の性質を考えると、それが本流であってほしくはないです。

以上のようなことを考えた次第です。
posted by 戦車男 at 21:06| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月24日

W号戦車

第二次世界大戦ドイツ軍の主力戦車はどの戦車であっただろうか。ドイツ軍の戦車と聞けばティーガーパンターなどの名前がすぐに挙がってくる。しかし、6年間にわたる大戦を戦い抜いた主力戦車はW号戦車に他ならない。W号戦車の生産は各型式をすべて合わせて約11000輌である。なお、先ほど挙げたティーガーの生産数は約1000輌、パンターでも約6000輌である。W号戦車が数の上からも主力であることは間違いない。では、戦車兵たちから親しまれ。信頼されたW号戦車とはいったいどんな戦車であったのだろうか。

1935年より開発されてきたW号戦車は、もともと、火力支援用の20トンクラスの戦車として開発された。当初は、V号戦車が対戦車戦などをつとめる主力戦車と考えられており、W号戦車は、その支援のとして、強力なトーチカなどを破壊するために開発された。そのため、当時としては大型な75mm砲の搭載が可能なように設計されていた。ちなみに、大戦の初期に活躍したW号戦車D型の性能としては、重量20トン、75mm24口径砲(火力支援用の短砲身)搭載、装甲厚は10mm〜35mmであり、V号戦車E型が、重量19.5トン、37mm46.5口径砲搭載、装甲厚は10mm〜30mmであった。

W号中戦車D型
IV_D_1.jpg

対ポーランド戦、対フランス戦縦横無尽な活躍を見せたドイツ軍機甲部隊であったが、1941年の対ソ戦で、彼らはT34という強力な敵に直面することになった。T34の出現でドイツ軍のV号戦車、W号戦車は一挙に陳腐化し、ドイツ軍は早急に強力な戦車を戦場に送り出す必要に迫られた。新たな戦車を開発すると同時に、既存の戦車を改良することも当然ながら試みられた。V号戦車は実にA型からN型まで改造が続けられたのである。しかしながら、基本設計の点で長砲身の75mm砲を積むことができないV号戦車は、ついにT34に対抗することはできず、1943年の段階で一線を退くことになった

一方、もともと大口径砲を積むことを考慮して生産されたW号戦車は75mm長砲身砲の搭載が可能で、装甲の追加による重量増加にも対応することができた。W号戦車は、1942年から生産されたF型から長砲身の75mm43口径の砲が載せられた。43年から生産されたH型では、さらに砲身を伸ばした75mm48口径砲の搭載が行われた。さらに、対戦車銃や歩兵の対戦車兵器に対応するため、「シェルツェン」という増加装甲が装備された(下の写真を参考)。シェルツェンを装備したW号戦車が、しばしばティーガーと見間違えられ、連合軍の兵士たちを驚かせたことがあったという。以上のような改良によってW号戦車は性能的に完成に至り、T34に対抗することが可能になったのである。

W号中戦車H型
4gouH.jpg

1943年にパンターの生産が開始されたことにより、W号戦車は補助的な車輌となるはずであった。しかし、長年にわたる生産・運用によって培われてきた信頼性や、生産性の高さから、W号戦車の生産は1945年まで続けられた。W号戦車の最終型であるJ型では、逼迫した戦況にあわせて、各部分の簡略化が計られた。砲塔旋回のための補助エンジンが廃止され、マフラーも取り外された。シェルツェンは鉄板から金網に変更された。

ドイツの栄光と敗北のすべてをともにしたW号戦車は、決して性能的に優れていたわけでもなく、ティーガーやパンターのような伝説的な活躍をしたわけではない。しかしながら、ドイツ兵士たちに信頼され「軍馬」と呼ばれ親しまれたのである。


W号中戦車D型
全長:    5.92m
全幅:    2.84m
全高:    2.68m
全備重量: 20.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 300hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 200km
武装:    24口径7.5cm戦車砲KwK37×1 (80発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (2,700発)
装甲厚:   10〜35mm

IV号中戦車H型

全長:    7.02m
車体長:   5.89m
全幅:    2.88m
全高:    2.68m
全備重量: 25.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 300hp/3,000rpm
最大速度: 38km/h
航続距離: 210km
武装:    48口径7.5cm戦車砲KwK40×1 (87発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (3,150発)
装甲厚:   10〜80mm
posted by 戦車男 at 18:47| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 戦車図鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月19日

ようやく晴れ間が見えました

ここのところ、連日雨が続き、風邪を引いてしまいました。季節の変わり目ですから皆さんもお気をつけください。
posted by 戦車男 at 14:36| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月18日

世界初の戦車戦

ドイツ軍A7V突撃戦車A7V-1s.jpg
1918年4月フランス北部のアミアン東方のカシーに向けて前進を開始した歩兵4個師団を支援するために、A7V突撃戦車15両からなるドイツ軍戦車大隊がその先鋒として進軍した。A7V戦車は故障車1両(資料によっては2両)を出しつつも順調に進撃し、カシーの町まであとわずかのところまで迫っていた。

一方、カシーの町には、ドイツ軍に対する反撃のために英軍の部隊が待機していた。菱形のMKWフィーメイル戦車(メス型、機関銃のみ)2両と、MKWメイル戦車(オス型、6ポンド砲装備)1両がその中に含まれていた。

「ドイツ軍戦線突破」の報を聞いた英軍部隊は、早速戦車隊を反撃に差し向けた。まもなく、歩兵部隊を率いた、ドイツ軍A7V戦車3両が英軍戦車隊の前方に出現した。彼我の距離はおよそ300メートル。両者ほぼ同時に敵を認めたが、ドイツ軍のA7Vが先手を切って発砲。大砲を持たない「フィーメイル」戦車2両があっという間に撃破された。

しかし、残りの1両の菱形戦車が必死の反撃を試み、A7V突撃戦車1両を中破させる。なおも果敢に発砲してくる英軍戦車にひるんだドイツ軍側は部隊を撤退させてしまった。

こうして、史上初に行われた戦車戦は、ドイツ軍側1両中破英軍側2両損壊の結果を持って終了した。なお、中破したA7Vは、いったん乗員が脱出したあと、再度乗り込み、無事に自軍戦線まで帰還している。

英軍MK4菱形戦車(フィーメイル)
201_mark4_02.jpg

posted by 戦車男 at 15:12| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月13日

日本軍に鹵獲されたドイツ戦車

HAMANO5.jpg
中国軍が使用していたT号戦車です。奇妙な因果ですね。
posted by 戦車男 at 10:31| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月12日

世界の戦車博物館

123031.jpg
戦車好きに限らず、愛好家というものは実物・本物を実際に見たくなるのが性だろう。日本の戦車の場合、自衛隊国内にあるいくつかの博物館で見ることができるが、人気のあるドイツ軍戦車のなど場合は、見に行くのだけでもかなりの苦労だ。しかしながら、「いつかは見に行きたい」と思っている方、「戦車博物館とは?」と思っている方に、いくつか有名な博物館を紹介してみたい。

ボービントン戦車博物館
イギリスのロンドンにある実質的に世界最大の戦車博物館。保有するAFVの総数は250台を超える。コレクションの中心はイギリス陸軍の車両だが、第2次世界大戦中のドイツ戦車も数多く所有している。
URL:http://www.tankmuseum.org.uk/

アバディーン戦車博物館
アメリカ東海岸メリーランド州、アバディーンにある戦車博物館。屋外に白くペイントされた数々のAFVが展示されている。エレファント重駆逐戦車や台車に乗せられた128mmツインFlakなど大型のAFVから日本の戦車までコレクションが幅広い。
URL:http://www.ordmusfound.org/

ソミュール博物館
パリから電車で約2時間のソミュールにある全世界のAFVファンあこがれの戦車博物館。第1次世界大戦中の車輛から現代の車輛まで常設展示が約120台。また、実際に稼動する戦車が多数あることで有名だ。バックヤードにレストア中のを含めて約500台もの車輛を所有している。
URL:http://www.musee-des-blindes.asso.fr/

クビンカ博物館
8棟からなる展示棟で構成された巨大な兵器博物館。現用車両を含め約300両の車両が展示されている。大戦中ドイツ軍から捕獲した車両も多数あり、中でもドイツのマウス重戦車を所有している事で有名である。
URL:http://www.tankmuseum.ru/

ロシア中央軍事博物館
ロシアの首都モスクワの東北部に存在する、ロシアの軍事技術の総決算的な博物館。T34/76、T34/85をはじめとするロシア軍AFVのほとんど全てがここに展示されている。自走砲や自走ロケット発射機、現用車両も数多く所有している。

ソミュール博物館においてエンジン始動するティーガーU
tiger_pre4.jpg

posted by 戦車男 at 09:25| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(3) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月11日

現代日本外交における米国との関係

usa11.jpg
今回の記事は戦車とは少し話がずれるが、普天間の基地移設問題などで、最近ホットな話題となっている日米関係について、私の意見を述べてみたいと思う。

二位以下の国々を大きく引き離して世界一を誇るGDP。世界のすべての国を合わせたよりも強力な力を持つ軍隊。先進国の中で最も広く豊かな国土。これらの条件を持つ国は即ちアメリカである。
 
我が国は、このアメリカと強力な同盟関係にあり、さらに軍事に限らず貿易や民間交流も非常に盛んである。それゆえ我が国の外交は日米関係を基調としたものになるのが必然である。
 
しかしながら2001年の9.11以来、アフガニスタンイラクと、テロに対する戦いに突入していくアメリカに、右派左派に関わらず批判の声をあげる勢力が国内に増大しているのが日本の現状ではないのだろうか。共産・社民などに代表される、左翼の相変わらずの反帝国主義的主張は相手にしないとして、旧来の親米派である保守派における反米的傾向の要因について考察してみたい。それによっていかに反米派が誤っているかを立証してみたい。
 
反米派は、「アメリカが大義なき戦争を行っている」という。すなわち国連を無視した戦争であり、自国の国益のため石油を狙った戦争であり、大量破壊兵器も見つからなかったアメリカの言いがかりの戦争だというのである。これらの主張は、たしかに事実ではある。だが、こういった表面的事実とは他に、アメリカの長期的なストラテジーや、打倒されるべきフセインの独裁体制テロリストたちの実情というものを我々は考えなければならない。
 
第一点として、アメリカの長期的ストラテジーであるが、これはH・キッシンジャーの「外交」を読むと非常にわかりやすく、詳しく知ることができる。私なりにその要旨を述べると、ウィルソン以降のアメリカ外交というものは、外交の根底に正義や道徳を置き、それを世界に拡大していこうという方針なのである。すなわちキリスト教的背景からこれを言えば「enlightenment」、すなわち「啓蒙していく」ことである。
具体的な例としては、ウィルソンの作った国連、第二次世界大戦におけるファシズムとの戦い(日本に対するアメリカの挑発的戦争に関しては、私は容認してはいないし、そもそも当時の日本が完全なファシズム体制であったかというのは非常に疑問視される問題である。)、冷戦における共産主義者たちとの戦い、などである。
 
このアメリカの正義の押し付けに対して、反発を持つ人々は非常に多い。彼らの論理は、「それぞれの国にはそれぞれの国のやり方があるのだから、民主主義の押し付けは良くない、さらに暴力による押し付けはもっと良くない」といったものである。もちろん、私も民主主義が万能だとは決して思ってはいない。だが、民主主義が現在のところ最善の政体であるというのは認めざるをえない事実であるし、アメリカがその攻撃の対象としているのは圧政を行っている国家だけである。
 
では、第二点として圧政を行う国家について考察してみよう。例えば、ナチスドイツは、国家政策としてユダヤ人を迫害し、計画的に500万人ものユダヤ人を虐殺した。ユダヤ人迫害はナチスドイツの崩壊まで継続され、外国の介入なしには決して解決はされなかっただろう。全体主義国家は国内に対して非常に強固である。北朝鮮を見ればそのことが明らかな事実であることがわかるはずだ。軍・政治を牛耳り、秘密警察を作り、通信・交通を独占し、密告によって反乱者を未然に防ぐ。よって全体主義国家の内からの崩壊はなかなか期待できない。ナチスドイツ、ポルポトのカンボジア、ソ連、いずれも外からの圧力があってはじめて崩壊に至ったのである。
 
これら圧政を行っている国家に対して、「それぞれの国の事情」という理由で不介入を主張するのは、いじめを見てみぬふりをするのとまったく同じで、不道徳であるといわざるをえないだろう。
 
以上のような理由で、私はアメリカの戦争に大義がないという主張が誤っていると考える。アメリカがなぜ北朝鮮や中国を差し置いてイラクを目標にしたのかということは、やむをえない理想と現実との折り合いである。実利がなければ国民はついてこないし、大量破壊兵器を実際に保有している国を攻めることは困難だからである。
 
反米派の人々の主張する外交方針として、アメリカを捨て、中国や韓国などと連帯する「アジア主義」を主張する人々がいる。だが、私はこの方針に対して非常に懐疑的である。

まず、中国は共産主義の全体主義国であり、基本的に日本とは性質的に敵対する国家である。さらにいえば、中国は、一時的には日本との連帯を歓迎するかもしれないが、中国の長期的な目標はアジアの覇権を獲得することであり、この点からも日本に敵対するものである。

次に、中国・韓国ともども、国家政策として「反日」を一貫して掲げており、これを取りやめないかぎり、真の友好を築くことはできない。
以上がアジア主義に対する反論である。
 
保守派の人々は、第二次世界大戦でのアメリカによる加害から、反米になりがちであるともいえる。しかしながら、そういった感情をこえて今現在親米を貫くことが、日本の国益に合致するのであるし、日本の主体的な政策方針として客観的にも最善の道なのである。
posted by 戦車男 at 11:12| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(1) | 小論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月10日

アクセス数1500突破!感謝御礼!!

私事でしばらく更新を怠っておりましたが、その間にアクセス数が1800にも達していました!「戦車男」をご覧の皆様、いつもありがとうございます!!今後もますます記事を充実させていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いします!

本ブログに対するご意見・要望などございましたらどんどんコメントに書いてください。楽しく知的なページにしていきたいと思います。
posted by 戦車男 at 19:53| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月05日

デザイン更新

グリーンとベージュでミリタリー調な雰囲気になったように思います。ミリタリー風に言えば、オリーブドラブ(米軍など)とダークイエロー(ドイツ軍)でしょうか(笑)これからも「戦車男」をよろしくお願いします!
posted by 戦車男 at 23:03| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月04日

パンター戦車

PanzerV_Ausf.G_2_sk.jpg
1941年独ソ戦の勃発によりソ連に侵入したドイツ軍は、T34戦車に遭遇した。T34戦車は当時のドイツ軍の主力であったV号戦車W号戦車はるかに凌駕する性能を持っており、それらの戦車ではまったく歯が立たなかった。T34に対しては歩兵の肉薄攻撃や高射砲や野砲の攻撃によって何とかしのいでいるという有様で、この、T34の出現によるドイツ軍の一種の恐慌状態は「T34ショック」と呼ばれた。

この「T34ショック」を早急に克服するため、開発が急がれたのが次期主力戦車を期待されたY号戦車パンターである。パンター戦車の特徴的な点は、それまでの箱型の無骨なドイツ軍戦車と異なり、傾斜装甲で構成されたスマートなデザインである。これは同じく傾斜装甲で構成されているT34の影響が大きい。パンターの主砲には70口径長の75mm砲が搭載された。この長い砲は、貫通力に関して、ティーガーTの88mm砲よりも強力だと分析されている。装甲に関しては前面が80mm側面が40mmであり、傾斜した前面装甲は実質的には110mmの厚みがあった。エンジンはマイバッハの700馬力ガソリンエンジンを積み、当時のドイツ軍戦車の中では比較的軽快な機動力を持っていた。

1941年末に本格的にスタートしたパンターの開発は、ダイムラー・ベンツMAN社に命じられ、両社は翌42年5月に試作車両を提出、検討の結果MAN社の案が採用された。量産の命令は「翌年5月までに250両のパンターを生産すること」であったが、量産のための試作車の製作にてこずり、結局完全な試作車が完成したのは1943年の1月であった。それからわずか4ヶ月の間に数百両のパンターをそろえなければならなかったのである。加えて、夏に予定されていたクルスクの戦いにパンターが間に合うようにするため、さらに生産が急がれた

この、急ピッチな開発と生産が、パンターの初期におけるさまざまなトラブルを招いてしまったことはいうまでもない。1943年7月のクルスク戦に投入されたパンターは、いたるところで故障を起こし、その真価をまったく発揮できなかった。ある部隊では、200両装備していたパンターのうち、クルスク戦の第一日の終了後、稼動できるものは50両程度に過ぎないという有様であった。

このような初期不良に悩まされたパンターであったが、徐々に改良が加えられ、パンターG型に至ってその完成度は十分なものになったのである。攻撃力・防御力・機動力がバランスよく備わった本車は、連合軍から非常に厄介な相手とみなされた。ドイツの戦車兵エルンスト・バルクマンがたった一両のパンターをもってアメリカ軍戦車数十両を破壊し、戦線の崩壊を防いだという伝説もあるほどだ。

パンター戦車の弱点は、先ほど挙げた機械的信頼の問題以外にもいくつかある。それは1両の生産にかかるコストが大きいということ、車体が大きく、特に面積の広く装甲の薄い側面が弱いということである。パンターの重量は、約45トンであるが、これは他国の主力戦車と比べた場合、10トン近く重い。重い戦車ほど基本的に強いのだが、1両でも多くの戦車がほしいはずのドイツ軍ならば、もっと生産性を重視するべきであったと思う。

とはいえ、パンターは第二次大戦の中で、もっとも優秀な戦車のうちに入ることは間違いない。戦後、ドイツ軍が開発したレオパルドTにパンターの面影を見ることができるのは、やはりその設計の優秀さが通用するからではないのではなかろうか。実は、パンターもレオパルドも訳は「」である。そういった意味でも、まだドイツ軍の中にはパンターが生きているのかもしれない。


パンター戦車性能諸元(G型)
全長:    8.86m
車体長:   6.88m
全幅:    3.43m
全高:    2.98m
全備重量: 44.8t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL230P30 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 700hp/3,000rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 177km
武装:    70口径7.5cm戦車砲KwK42×1 (82発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (4,200発)
装甲厚:   16〜110mm
posted by 戦車男 at 12:19| 東京 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 戦車図鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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