2005年09月25日

自走砲A

ドイツ軍マーダーU自走砲(分類Aただし対戦車砲装備)
マーダー.jpg
前回の記事に引き続き、自走砲についてみてみよう。まずは前回便箋的に分類した@(陣地突破のための自走砲。破壊力のある大口径の火砲を積み防御力が高い。ドイツ軍では「突撃砲」と呼ばれる)とB(対戦車砲を載せ、戦車を撃破するための自走砲。貫通力のある長砲身の砲を積み、防御力も概して高い。ドイツ軍では「駆逐戦車」と呼ぶ)の分類の自走砲を見ることにする。

前回の記事では、「自走砲は第二次世界大戦の始まりとともに、三つの種類に分化する」と言ったが、正確には、@の陣地突破のための自走砲が、次第にその性能を買われて対戦車任務もこなすようになり、@からBにだんだんと変化していったと言うべきであろう。

例を見てみよう。ドイツ軍のV号突撃砲は、当初、陣地突破を主眼に開発されたため、貫通力よりも陣地や歩兵に対する破壊力を重視した75mm24口径長の太く短い砲を搭載した。しかしながら、後に対戦車任務をこなすため、W号戦車H型と同じ75mm48口径長の砲を搭載したのである。

また、面白いこととしては、ドイツ軍において、「突撃砲」は戦車部隊ではなく砲兵部隊の所属であったということである。したがって突撃砲の乗員も戦車兵ではなく砲兵である。ドイツの有名な戦車兵、ミヒャエル・ヴィットマンも、もともとはV号突撃砲の乗員で砲兵である。

そのため、戦車と同じ働きを期待できる自走砲を戦車部隊の管理下に置けなくて困った司令部は、「駆逐戦車という名で自走砲の生産・配備を行ったのである。そういった所属の面でも@の突撃砲とBの駆逐戦車では性格が異なるのである。つまり@突撃砲は、陣地突破・火力支援が主であり対戦車任務が従であったのに対し、B駆逐戦車は対戦車任務が主であったのである。

ただし、実際のところは、攻勢的な陣地突破や火力支援の任務は大戦の後期には減少したため、突撃砲も戦車代わりに対戦車任務に引っ張られることが頻繁であったということを一言述べておかねばなるまい。

背が低く前面装甲も厚い突撃砲は防御力が高く、おまけに戦車並みの対戦車砲を積んでいるため、対戦車戦闘では戦車以上の働きを見せることもあった。ソ連の戦車兵に「わが軍のいかなる兵器もV号突撃砲に対抗することができない」と言わしめたほどであった。

次にA(牽引式の砲に機動力をつけた自走砲。用途に応じて各種様々な砲を積むが、榴弾砲が多い。装甲は薄い)の自走砲であるが、これは、軍の機械化に伴って、それまでの牽引式の砲にも機動力とある程度の防御力を付加しようという考えからきている。そのため運用一般に関しては従来の大砲と大差がないのである。前線の後方に、砲列ならぬ車列を並べ火力支援を行うのが任務である。従来の牽引式の砲と比べ展開速度が速いのは言うまでもない。

ドイツ軍が投入した自走砲の威力を見せ付けられた世界各国も、既存の戦車の車体を利用して、次々に自走砲を開発し実戦に投入した。ソ連のT34の車体を利用したSU85、アメリカのM4を利用したプリーストなどである。イタリア・日本・イギリスなどの主要各国もそれぞれ自走砲を開発した。

このように隆盛を極めた自走砲であったが、大戦の終結とともに次第にその数は少なくなっていってしまった。そして、現在ではAの分類の自走砲以外の自走砲は、おそらく絶滅してしまったのである。その理由としては、駆逐戦車として発展した自走砲は、あまりにその任務に特殊化してしまったために、複雑多様化した現代戦に対応できなくなったこと。加えて、自走砲はあくまで戦車の補填としての存在のため、戦車が足りている平時ではあまり必要がないからだと考えられる。逆に言えば、戦車が一台でも必要な有事には、生産が容易な自走砲がまた姿を現すのかもしれない。

posted by 戦車男 at 22:34| 東京 🌁| Comment(5) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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