2005年08月26日

兵器の処理

8月21日の新聞に「神奈川県三浦市の海岸に戦車出現」という記事が載った。崩れた砂浜の中から旧軍の戦車が姿を現したとのことである。記事によれば、終戦直後に海岸付近に作られた弾薬解体工場が、戦車を土中に埋めたとのことで、それが海岸の浸食により露出したそうである。

第二次世界大戦後、あらゆる兵器が余ってしまっていた。日本やドイツなど敗戦国の兵器類は、研究用や賠償の肩代わりに戦勝国に供出したものや、戦後の復興のためにリサイクルされたものもあったが、軍備を一旦放棄させるために大半が解体・廃棄された。リサイクルの例としては、海軍の艦艇が、満州や中国、南方からの引き上げに使われたことや、戦車がトラクターやブルドーザーとして利用されたことなどである。

廃棄・解体の光景は見るも無残である。終戦時、日本には約1万の航空機が残っていたが、それらは地域ごとにかき集められ、ブルドーザーでまとめられ、ガソリンで焼却処分された。ドイツのUボートはいっせいに同じ海域に集められ、自沈処分された。強靭さの権化ともいえる兵器が、あっけなく失われてしまう姿は痛々しいかぎりである。

戦勝国の側では、余剰兵器の処分が大きな問題となっていた。実際のところ、戦車をトラクターやブルドーザーにしたり、軍艦を民間用に改造するのは手間もかかるし、効率も悪かった。物が不足している敗戦国とは違い、わざわざそのようなことをする必要性はないのである。かといって兵器を解体・廃棄するのもコストのかかることであった。特殊な鋼板を使い、頑丈な構造となっている兵器を解体するのはかなり面倒なことである。そのため、戦勝国では、同盟国に兵器類を大安売りしたり供与したりしたし、また、新兵器の実験台などにも使われた。自衛隊の初期装備も米軍からの供与である。

ソ連でも、上のような処理方法が取られたが、加えて旧式の兵器でもためこんでおくという方法が取られた。これは今のロシアにも続く伝統で、「質より量」を重視するソ連の戦略の一部である。しかし、解体の手間を惜しんでいるだけともいえるかもしれない。ためこんだ原子力潜水艦の廃棄が問題となっていることがその顕著な例といえるだろう。

他国に一歩でも優位に立つため、兵器は日夜技術革新し、次々に旧式化していく。技術革新の動きは止められないし止めるべきではないが、旧式化した兵器の処理をいかにするかは、かつても今も軍にとって重要な課題となろう。
posted by 戦車男 at 12:49| Comment(1) | TrackBack(1) | 戦車男の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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